皆さんは2000年(平成12年度)と2003年(平成15年度)に製造された、2千円札というものをご存知ですか?
現在、国民生活の中で多く出回っているのは1万円札・5千円札・千円札だと思いますが、実は2千円札という紙幣が存在します。
新規製造はされていません。そのため、流通数が少なく、見た人・手にとった人は少ないと思います。
今日はレア度が高い2千円札について紹介していきます。
※注‥一部の項目では、「札」ではなく「券」と記述していますが、意味は同じです。
参考先:独立行政法人 国立印刷局HP
目次
発行された背景
二千円札が発行された2000年(平成12年)は、沖縄でサミット(第26回主要国首脳会議)が行われる予定でした。
また、西暦2000年でミレニアムの年でもありました。
1999年(平成11年)に当時の小渕恵三内閣総理大臣が発案、2000年7月19日森内閣の元で発行されました。
新円切替後、初の「1」と「5」以外の単位通貨であり、多くの最新偽造防止技術が採用されています。
発案した小渕恵三氏は実物を見届けることができませんでしたが、サミットでは出席者に記念品として贈呈されました。
D二千円券 守礼門 2000年(平成12年)7月19日発行

D二千円券は2000年(平成12年度)7月19日に発行されました。
D号券(一万円券・五千円券・千円券)より16年遅く、E号券(一万円券・五千円券・千円券)より4年早く登場しています。
表面には首里城守礼門(沖縄県指定有形文化財)が描かれています。
裏面は、源氏物語絵巻第38帖「鈴虫」の絵図と詞書、紫式部の図柄が描かれました。
D二千円券には、後のE号券で採用される視覚障害者が触ってわかる識別マークが採用されています。(インクを盛り上げた深凹版印刷)
透かしは表面の図柄と同じ守礼門ですが、別の角度から見た物となっています。
記念紙幣と思われがちですが、通常の紙幣で記念紙幣ではありません。
偽造防止技術 新しく追加された技術あり
D二千円券にも「すき入れ」や、「マイクロ文字印刷」、「特殊発光インキ」など従来の偽造防止技術が採用されています。
しかし、D号券(一万円券・五千円券・千円券)発行から16年経過しており、複写機やコンピュータなどhの技術が著しく発展を遂げていました。
そのため、それまで採用されなかった偽造防止技術が多く採用されました。
深凹版印刷 | インクを触って凹凸がわかるほどに盛り上げられた印刷。 表面の漢数字とアラビア数字、 「日本銀行」と「日本銀行券」の文字、潜像模様、視覚障害者用の識別マークに採用。 |
潜像模様 | 印刷されたインクの縞状凹凸により表現される模様。 券を傾けると見える構造になっている。 表面左下部の「2000」の文字、裏面の「NIPPON」の文字に採用。 |
パールインク | 見る角度によってピンク色の真珠様光沢を目視できるインクを用いた印刷。 券の左右両端に採用されている。 |
ユーリオン | 銀行券のデジタルデータ画像を、 画像処理ソフトウェアやカラー複写機が検出しやすくするために描かれているもの。 表面上の野紺菊、裏面中央の地紋に採用。(黄色またはオレンジ色の丸印) |
光学的変化インク(OVI) | 券を見る角度によって色が変化して見える。 表面右上にある額面金額に採用(紫色、青緑色等に見える) |
上記のうち光学的変化インク(OVI)以外の技術は2004年発光のE号券(一万円券・五千円券・千円券)に採用されています。
現在の状況
現在は新規製造がされていないので、流通数は非常に少なくなっています。
2000年(平成12年度)に7億7千枚、2003年(平成15年度)に1億1千枚製造されました。
2004年(平成16年)頃に流通のピークを迎え、2007年(平成19年)の二千円札流通量は約1億5千枚でした。(出典:東京新聞)
2024年(令和6年)発行予定の新紙幣には、「流通枚数が少ない」との理由で加えられませんでした。
沖縄県では、首里城の守礼門が表面の図柄に採用されたこともあり、積極的に二千円札の普及キャンペーンが行われました。
そのため、沖縄県内で二千円札の流通量は増えており、他の都道府県に比べて多く出回っています。

まとめ
2024年上半期に新紙幣が登場する予定です。昨年は新500円硬貨も登場しました。
世間の目が、新紙幣・新硬貨に行き、段々と二千円札の存在が薄れてきています。
新規製造をしていないので、流通数が非常に少なく、最近は見かけなくなりました。
しかし、二千円札も立派な日本の紙幣です。
読者の皆様には、二千円札という紙幣があることも覚えておいてほしいです。
また、「二千円札を見てみたい!」という方は沖縄に行ってみましょう!
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