2022年(令和4年)も3月に突入しました。少しずつ暖かくなってきて、春がもうそこまで来てるのを感じられます。
世界ではウクライナ情勢の報道が毎日されており、両国の軍隊が衝突しています。
日本には自衛隊が存在しますが軍隊ではないため、日本は現在軍隊を保有していません。
しかし、かつて日本は軍隊を所有していました。他にも、昔と違うところが今の日本には多くあります。
今日は、100年前の日本と今の日本の違うところを5つ紹介していきます。
参考・引用先→国立国会図書館HP「本の万華鏡」
目次
1.はじめに(当時の日本)
今(2022年(令和4年))から100年前の日本は1922年(大正11年)です。
当時の日本は、大きな転換期を迎えていました。
第一次世界大戦後、戦勝国だった日本は新たに設立された国際連盟に常任理事国として加盟し、世界に大きな影響力を持ちます。
戦場にならなかった日本本土では、輸出が大幅に増え重化学工業が発展しました。
その結果、空前の好景気を迎え、日本は債務国から債権国になります。
国内では「大正デモクラシー」や「大正ロマン」などの言葉が生まれました。
政治への関心が高まり、1925年(大正14年)に普通選挙法が成立します。(満25歳以上の男子に選挙権が与えられた)
また、大衆文化が花開き、「職業婦人」が登場したり、「モダンガール」と呼ばれる女性たちが登場しました。
日本という国が大きく成長した時代でもありました。
2.日本に軍隊が存在した

100年前の日本は軍隊を保有していました。(以下:旧日本軍)
今の日本は自国を守る自衛隊を保有していますが、軍隊ではありません。(国際的には軍隊と判断されている)
旧日本軍には陸軍と海軍がありました。
当時の日本はアジアの軍事大国であり、日清戦争(1894年(明治27年))、日露戦争(1904年(明治37年))、第一次世界大戦(1914年~1918年(大正3年~大正7年))に勝利し負け知らずでした。
1900年(明治33年)に中国で起きた「義和団事件」の際、旧日本軍が活躍し欧米列強から日本は「極東の憲兵」と呼ばれるようになります。
100年前に日本に存在した軍隊は、欧米列強から高い評価を得ていました。
100年前の日本(1922年(大正11年)) | 現在の日本(2022年(令和4年)) |
軍隊を保有(陸軍、海軍) | 軍隊を保有していない(自衛隊を保有) |
3.九州の中心は熊本だった

「現在の九州地方の中心都市は?」と聞かれたら皆さんはどこの都市名を答えますか?
おそらく大半の方が「福岡」と答えると思います。しかし、100年前の九州地方の中心都市は福岡ではありません。
100年前の九州地方の中心都市は熊本でした。100年前の熊本には政府の出先機関が多く置かれていました。
1871年(明治4年)、日本全国で4ヶ所のみ設置された「鎮台」が置かれます。
「熊本鎮台」は1888年(明治21年)に「第六師団」となり、九州全域が管轄地とされました。
「第六師団」は日清戦争や日露戦争に出兵し戦果を挙げ、熊本は軍都として栄えていきます。
全国に5校設置された高等中学校のうち、「第五高等中学校」が熊本に開校しました。(1887年(明治20年))
1894年(明治27年)に「第五高等学校」に改称し、九州の高等教育の中心として多くの秀才を輩出しています。
ほかにも逓信省(現:総務省の一部)の出先機関である「熊本逓信局」や、大蔵省(現:財務省)の専売部門を担当する「専売局熊本支局」、全国で12番目の支店である「日本銀行熊本支店」が置かれました。
100年前の日本(1922年(大正11年)) | 現在の日本(2022年(令和4年)) |
九州地方の中心都市は熊本 | 九州地方の中心都市は福岡 |
4.お金の単位は円だけではなかった

現在のお金の単位は「円」のみです。
しかし、100年前の日本では「円」のほかに「錢」「厘」という単位が存在していました。
「錢」という単位は、為替市場や株価の数字を表示するときに見られますが、現在の日本で流通はしていません。
この「錢」と「厘」は「円」より小さいお金の単位です。
「円」「錢」「厘」の計算は「10厘=1錢」、「100錢=1円」という計算になります。
1953年(昭和28年)に制定された「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」(小額通貨整理法)により1円未満のお札や硬貨の発行が停止されました。
大正時代の小学校の教員の初任給は50円程度で、100年前の1円の価値は現在の4000円程度と言われています。
100年前の日本(1922年(大正11年)) | 現在の日本(2022年(令和4年)) |
お金の単位は円・錢・厘 | お金の単位は円 |
参考・引用先→日本銀行HP
5.地下鉄や新幹線はなかった

日本の鉄道は1872年(明治5年)に新橋駅~横浜駅間で正式に開業しました。
明治時代を支えた鉄道は、大正時代になっても国民に必要なインフラ設備として多く利用されています。
100年前の日本には地下鉄、新幹線が存在せず、すべての車両が地上を走っていました。
鉄道網は各地で延伸され、大正中期には稚内や根室といった日本の端まで到達しています。
鉄道の動力が蒸気機関から電気に変わり始めたのもこの頃で、各都市を中心に路線の電化が進みました。
また、100km以上の長距離運転や、高速運転を行う鉄道会社も現れ、日本の鉄道が大きく発展していきます。
その後も、鉄道網は伸びていき特急なども整備され利便性が向上していきました。
日本の最初の地下鉄は1927年(昭和2年)に開業し、新幹線は1964年(昭和39年)に開業しています。
100年前の日本(1922年(大正11年)) | 現在の日本(2022年(令和4年)) |
地下鉄・新幹線なし | 地下鉄・新幹線あり(各主要都市) |
6.国際連盟の常任理事国だった

第一次世界大戦後の1920年(大正9年)、世界平和の確保と国際協力の促進を目的として国際連盟が設立されました。
現在の国際連合の前の組織です。
100年前の日本は第一次世界大戦の戦勝国として加盟し、常任理事国になっています。
国際連盟事務局次長に新渡戸稲造、杉村陽太郎が選出されるなどアジアを代表する国として組織の中核的役割を果たしていました。
アヘンの取締りや国際警察活動への協力、国際会議のオブザーバー派遣など日本は積極的に協力しています。
また、ヨーロッパに利害の少ない唯一の常任理事国として、公平な立場から貢献しました。
その後、1933年(昭和8年)に脱退を表明しました。
100年前の日本(1922年(大正11年)) | 現在の日本(2022年(令和4年)) |
常任理事国(国際連盟) | 常任理事国ではない(国際連合) |
7.まとめ
今日は現在の日本と100年前の日本の違うところを5つ紹介しました。
今の日本を100年前の日本人が見たらどのような反応をするでしょうか。
100年前はまだテレビも普及していませんし、自動車もお金持ちが乗るものだったので、きっと驚くと思います。
この100年の間に日本は戦争に敗北し、高度経済成長を経て現在に至ります。
100年後の日本はどうなっているのでしょうか。
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