レア度が高いお金も第4弾。今日は五拾円札についてです。
この「拾」という漢字、なかなか見ないですよね。
「じゅう」と読みます。「壱」や「弐」と同じで「十」の代わりに証書などで使用する漢字です。
50円と聞くと50円玉のことを思い浮かべると思いますが、50円玉が誕生する前はお札でした。
500円玉や100玉と同じですね。
現在、五拾円札は発行されていませんが、法律上有効なお札です。
戦後に発行された唯一の五拾円札を紹介していきます。
※注‥一部の項目では、「札」ではなく「券」と記述していますが、意味は同じです。
引用・出典→独立行政法人 国立印刷局HP
過去記事はこちらから
→第1弾 二千円札
→第2弾 五百円札
→第3弾 百円札
目次
幻の五拾円券 甲五拾円券
日本初の五拾円券であるB五拾円券が登場したのは、1951年(昭和26年)です。
実は、B五拾円券が発行される24年前に幻の五拾円券が製造されていました。
1927年(昭和2年)4月に昭和金融恐慌が起こり、発生した取り付け騒ぎの沈静化のため製造されました。
製造されたのは、甲五拾圓券です。
合計4万8千枚製造されましたが、騒ぎが収まったため発行されませんでした。
現在は見本券のみが現存しており、非常に価値が高い紙幣となっています。
その24年後、B五拾円券が製造・発行されることになります。

B五拾円券(五十円券) 高橋是清 1951年(昭和26年)12月1日発行

B五拾円券は1951年(昭和26年)に登場しました。
日本銀行券として五拾円券が発行されるのは、B五拾円券が最初で最後です。
当時、日本では10円の次の法定通貨が100円でした。戦後、物価が高騰し市中ではA十円券の流通枚数が増加しました。
しかし、A十円券の流通枚数増加は、消費者や金融機関などの負担を増やしていました。
この負担を減らすため、中間券種としてB五拾円券が発行されます。
表面の肖像は、政治家・高橋是清。下には月桂樹が描かれ、左右には「五拾」のマイクロ文字が敷き詰められています。
上下の輪郭には「50」の数字が入った割模様、地模様は「50」の数字のレリーフ模様および中央から左右に広がる唐草模様が描かれました。
裏面は日本銀行本店本館の建物と、「50」の数字が連続印刷されている地模様となっています。
B五拾円券は発行開始から、4年で製造が終了しました。(1955年(昭和30年)製造終了)
発行期間は1958年(昭和33年)までの約7年です。
そのため、記番号の頭アルファベットの文字が1桁のものしか存在しておらず、流通枚数は多くありません。
希少価値が高いので、オークションなどでは数千円の値がついています。
50円硬貨の登場 紙幣から硬貨へ
1955年(昭和30年)9月に50円硬貨(無孔ニッケル貨)が登場しました。
今現在の50円硬貨とデザインは違いますが、硬貨の登場によって紙幣の需要は急減します。
そして同年、B五拾円券の製造が終了しました。後継は、50円硬貨となり、時代とともにデザインを変え、今のデザインになったのは1967年(昭和42年)です。
ちなみに、最初に登場した50円硬貨には穴が空いていませんでした。

まとめ
今日は、戦後に発行された五拾円札について紹介しました。
B五拾円札も、百円札や五百円札とともに姿を消し、硬貨となっています。
流通数が少ないB五拾円券ですが、オークションやフリマアプリなどでは見かけることが多いです。
コレクターの方や、気になった方は見てみてください。
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